■ No.419 2008年04月06日「心の渇きをいやすキリスト」
お早うございます、高原剛一郎です
さてアメリカでは今年、大統領選挙があります。もしヒラリーさんが大統領になれば、アメリカ史上初の女性大統領でした。もしオバマさんが大統領になれば、アメリカ史上初の黒人大統領です。もしマケインさんが大統領になれば、アメリカ史上初の70代の大統領誕生です。
エレノア・ルーズベルトという人
ところで大統領夫人のことを、ファーストレディと言うんですね。この歴代ファーストレディの中で、最も尊敬されているのは誰でしょう?それはエレノア・ルーズベルトという人なんです。第32代フランクリン・ルーズベルト大統領夫人なんですね。彼女はいつも、弱い立場の人、少数移民の立場に立って、沢山の活動をしました。しかし初めから活動的な女性では無かったんです。実は子供時代は、とても内気で悲観的で、そして消極的な人であったのです。彼女の父親は、大統領を出した名門の出身で、大金持ちで、その上とてもハンサムでした。彼女の母親は女優のようにとびきりの美人で、やはり名門、大富豪の出身です。
とても辛い少女時代
ところがこのお母さんは、エレノアを産んだ時、とてもその容姿に失望したのです。お姉ちゃん達と違って、美しくなかったからです。母親は、彼女を他の娘と違った扱いで扱ったんです。彼女に付けられたあだ名は、「醜いアヒルの子」であったのです。このお母さんが、エレノアが8歳の時に亡くなります。そして翌年には弟が亡くなります。彼女は淋しくなって、お父さんにまつわりつきます。ところがこのお父さんは、アルコール依存症だったんですね。アルコールが入ると人格が豹変するんです。エレノアが10歳の時、このお父さんが亡くなります。彼女はみなし子になり、母方のおばあさんが義務感で彼女を引き取ります。そしてとても辛い少女時代を過ごすんです。その結果、彼女は三つのことを確信したと言います。
確信した三つのこと
第一に、私は魅力的ではない。第二に、私に対する愛は持続しない。第三に、最も頼りにしていた人も、自分を失望する人に変わりうるのだ。
十代にしてこの三つを深く確信した彼女は、消極的にならざるを得なかったんですね。しかし、ある人との出会いが、彼女を大きく変えるのです。実は彼女が一番苦手としていたのは、ダンスパーティでした。誰も誘ってくれないからです。ところがある時、一人の立派な青年が彼女に申し込んだのです。その青年こそは、第32代アメリカ大統領となるフランクリン・ルーズベルトその人でした。ルーズベルト青年は、とても男前で、有能で、社交界でも皆の憧れの的でした。誰の目にも素晴らしいと一目置かれるその人物が、あろうことか自分を選んだんですね。これが大きな自信となったのです。
裏切る愛、裏切られない愛
人間は、誰からも尊敬されている人から尊敬されることで、自分を認めて行くことが出来るんですね。ところが晩年、彼女は夫に裏切られます。夫が秘書と男女の関係に入ってしまうことを、知ってしまうからです。その時のショックは誰にも想像できないほど深いものであったと思われます。いつまでも変わらない、裏切られることのない愛というものはこの世に無いんでしょうか。
聖書の中の型破りな女性
聖書の中に、一人の型破りな女性が出てきます。今まで五回の離婚歴があり、現在六人目の男性と同棲中の女性です。当時のモラルを考えると、社会のはみ出し者と言っていいでしょう。だれもこの女性を相手にしません。その女の人が炎天下に井戸まで水を汲みに来たとき、キリストの方から彼女に語りかけ、それがきっかけで会話が始まるんですね。そして、キリストのことばで彼女の心が大きく開かれて行くのです。
それは、こんなことばです。「この水を飲むものは、だれでも決して渇くことがありません。わたしの与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
なぜこのことばに彼女は惹き付けられたのでしょう。彼女の心がカラカラに渇いていたからだと思います。いや、彼女に限らず、すべての人は心満たされ、生まれてきて良かったなあ、生きてきてよかったなあ、生きていて良かったなあと思いながら生きて行きたいと思っているのではないでしょうか。どんな人でも愛されたい、認められたい、大切にされたい、安心したい、自分であり続けたいという基本的な渇きに駆り立てられて、生きているのではないでしょうか。そして、その欲求を満たそうとして満たされないので、人生に疲れはてているのではないでしょうか。
抑鬱状態の青年の本心は
ある心理療法かのところに一人の抑鬱状態の青年がやってきました。彼は父親のこねで、ある地方の役所に勤めています。その役所に入るのはたいへんなんですが、彼はそこにいるんです。しかし、どうしても仕事に興味を持つことが出来ません。その内に役所に行けなくなり、家に閉じこもってしまうのです。しかも家から出ることが出来ないことを辛いといいながら、どこか楽しそうです。話してみて分かったことがありました。それは彼には本当にしたいことが別にあるということです。
学生時代アルバイトで植木屋さんの手伝いをしていたのですが、その時、親方に誉められたことがうれしくてたまらず、本当は日本庭園の美を後世に伝える仕事をしたいと思っていたのdす。ところがそんなことを父親に言ったらきっと父親は悲しむに違いない。そして、自分に愛想を尽かしてしまうだろう。自分の本心を打ち明けると父との関係がつぶれてしまうだろう。それを恐れた彼は、本心を押し殺して、無理に役所勤務を続けている内に、辛い症状が出て来たというのです。
この症状は父親に対する怒りを抑えるために彼が無意識で考え出したブレーキ装置です。しかし、彼の心の叫びを押し殺し続けると、彼が立てないんですね。というより、立てなくなることで遠回しにこの心の欲求を埋めさせてくれと叫んでいるんですね。
的はずれの罪
自分自身でありたいとか、愛されたいとか、守られたいとか、認められたいという欲求そのものは、決して悪いものではありません。人間はそういう欲求を持つ者として、神によって造られているんですね。但し、この欲求をいびつな形で満たすことが、的はずれの罪なのです。
心の空洞を埋めるには
聖書に出て来たあの型破りな女性は、男性とも出会いで自分の愛の欲求をみたすことが出来ると思い、結婚と離婚を繰り返しました。しかし、人間の中に、自分の存在を完全に満たす力はないんですね。どんな人間も所詮は人間だからです。ただ、人となったキリストだけが、人の心の中にある空洞を埋めることが出来ます。
内なる確信を持つには
人の所属欲求に対しては、天国を。人の安全欲求に対しては罪の赦し。人の愛情欲求に対しては、十字架で表されたキリストの愛。人の存在欲求には永遠のいのちを。そして、人の目的欲求には、天職を使命を与え、人を満たして余りある方なんですね。 どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として信じ、この方の下さるいのちを内側に宿し、神に満たされて、内なる確信を持つ人となって下さい。心からお薦めしたいと思います。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」