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Bible & Gospel

■ No.417 2008年03月23日「素顔でキリストを見上げる」

お早うございます、高原剛一郎です

 最近、アンチエイジングという言葉を良く耳にします。アンチというのは反対すること、エイジングとは年を取って行くこと。アンチエイジングというのは、何時までも年を取らずに若々しく輝いてるっていうことなんですね。それで酸素カプセルに入ったり、良い香りのお風呂に入ったり、体中にオリーブオイルを塗りたくったりしますね。そういうのも良いと思うんですけれど、一番良いのは内側から喜びがにじみ出るような生き方にあるのではないかな、と思うんですね。

 輝いて生きる秘訣

 実は聖書の中に、輝いて生きる秘訣が書いてあるんです。こう言ってます、「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられ、主の栄光を鏡にうつすように見ながら、栄光から栄光へと主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」これは直接的には、クリスチャンに対して語られた言葉ですが、ここに人が輝いて生きる三つのステップが記されてるように思うんです。

 顔のおおいを取りのけて神の前に出る

 第一に、顔のおおいを取りのけて神の前に出るってことです。顔のおおいって何でしょう。自分の素顔を知られないように、隠しているマスクのことです。自分の本心を見えないように描いたメイクです。自分の本当の姿を覆い隠す態度のことを、顔のおおい、って言うんですね。人の前では繕った態度を取ることも、ある時には仕方がない時があります。しかし、少なくともあなたをお造りになった作者である神の前には、あなたはありのまま、正直に、すっぴんの心で出ることが大切なのです。なぜなら神は正直なものに対して、憐れみ深い方であるからです。

 相部和男さんの話

 福岡にある少年刑務所で一万人以上のカウンセリングをした相部和男さんの話に次のようなものがあります。
 ある時、少年院でも手の付けられない乱暴者の少年を個人面談することになりました。彼は生後間もなく父親と死に別れ、母親はほどなく彼を捨てて男の所へ走ったので、幼い時から叔父夫婦の手で育てられました。伯母は自分の子供には小遣いをやりましたが、彼には1銭も与えなかったのです。ご飯は三杯以上食べることを厳禁し、極端な差別待遇を受けました。そのため、少年は小学校2年頃から盗みを働き、やがてそれが習慣になりました。叔父はその度に体罰を加え、素っ裸にして家の外に放り出しました。小学6年の時、たまたまお爺さんから、叔父夫婦が実の父親母親ではないことを聞かされ、ますますひねくれました。同時に自分を産んだお母さんにどうしても会いたくなり、そして中学卒業後間も無く彼はお爺さんに連れられ、夢にまで見たお母さんにようやく会うことが出来たのです。
 そのころ母親は、別の男性と同棲していました。初めは暖かく迎えてくれましたが、彼がお母さんと一緒に暮らしたいとお願いすると、急に冷たい態度に変わり、拒否されました。優しいお母さんのイメージが完全に壊れた後、彼はやけくそになり、少年院入所と出所を繰り返すようになります。しかし院の中でも暴れ回る、どうにもならない人間と思われたのです。

 盗まれたインク

 しかし相部さんは時間をかけて、彼の心の叫びを聞きました。4回の面談で自分がどんなに醜い過去を告白したとしても軽蔑されないということがわかると、彼は正直に自分のことを打ち明け、それと共に前向きになっていったのです。
 ところがある時、相部さんがカウンセリングルームに入った時、机の上のインク壺にインクが2割しか入ってないのに気づくのです。盗んだのは例の少年です。その前日、彼の相談に乗った時には満タンだったからです。相部さんは早速その少年を呼び出しました。彼は恐怖のあまりうなだれ、まともに顔を見ることができませんでした。やっとのことで蚊の鳴くような声で「先生すいません」と言うのが精いっぱいです。相部さんは「インクを持ってきなさい」と言うと彼は自分のビンを持ってきました。ところがビンの中には盗んだインクの5分の1くらいしか入ってません。「どうしたの?」「皆に配ったんです、先生、本当にごめんなさい。僕は違反ばっかりだったので、院内作業に出ることが禁じられているんです。それで作業賃を一切貰えないんです。それでここでは何も買えないんです。それで、盗んだインクを売りました。ごめんなさい」。

 罰の代わりに愛を

 相部さんは目の前で崩れて行く少年の告白を聞くと、少年のインク壺を引き寄せ、自分のインク壺を傾け、残っていたインクを少年のビンに注いだのです。少年はビックリして相部さんの手を押さえようとしました。しかしアッと言う間に、インクは1滴残らず少年のビンに入って行ったんです。少年は大声を上げて嗚咽しました。罪を犯したのに、関係を切られることなく、罰の代わりに愛を注がれたからです。神の前に正直に罪を告白するものに対して、神がなさるのはこれ以上のことです。神様はキリストのゆえに正直に罪を告白する人間を、罪を赦すだけでなく、恵みを注いで下さる方なんです。

 主の栄光を鏡に映すように見る

 第2に、主の栄光を鏡に映すように見るということです。鏡っていうのは、聖書の言葉、神の言葉のことです。聖書の言葉をとおしてイエス・キリストが、あなたの罪を背負い、十字架の上で永久処分し、今復活してあなたの為にとりなして下さることを信じ、思い巡らすことです。一旦罪を告白したならば、もう自分の内側を見るのを止めて、キリストを見上げるっていうことなんです。
 イギリスの作家でジョン・ラスキンという人がいますが、彼はこんなことを言ってます。「自分の欠点を考えるな、他人の欠点も気にするな。他人の良い点、強い点を見なさい。そしてそれを真似しなさい。その内に枯れ葉が枝から落ちるように、あなたの欠点は消えるだろう」。
 自分の内側を見て意識すればするほど、余計に縛られてしまうんですね。人間は自分が注目するものに似て行くからです。人が見て、益を受けるのはキリストだけです。

 日本を代表する盲導犬の訓練士

 日本を代表する盲導犬の訓練士に、多和田悟さんという方がいますが200頭以上の盲導犬を育てた人なんです。しかし同時に彼は盲導犬訓練士を育成する人でもあったんですね。彼にある方が質問しました。盲導犬を育てるのと、盲導犬訓練士を育てるのでは、どっちが難しいですか。多和田さんは言いました「もちろん、訓練士を育てる方が難しいですよ。というのは、犬っていうのはもともと訓練しやすい性質を持っているからです。まず、自分にこだわらない生き物です。血統書なんて、本人は気にしていません。そして犬っていうのは一切後悔することがない。そして何より、犬は主人しか見ないんです。主人に褒められるのが何よりもうれしい生き物です。でも人間っていうのは犬より楽しみが沢山あります。誘惑もいっぱいあります。自分がやらなくても良いと思ってしまう要素が沢山あります。そして失敗した時、いつまでもクヨクヨしています。」
 私はそれを聞いて、なるほどなぁ、と感心しました。言葉が通じる人間は、自分を見るので、せっかくアドバイスしても良い言葉が入って行かない。だけど言葉が通じない犬は、主人に熱中するので、訓練がグングン進んで行くっていうんです。あなたは今、何を見ていますか?自分の内側ですか?それとも回りの人間ですか?それともあなたを輝かせようと準備ができているキリストですか?キリストを見上げるんです。

 人はキリストの姿に変えられて行く

 第3に、その結果、人はキリストの姿に変えられて行くっていうんですね。正直になって、素顔の自分でありのままの胸の内をキリストに告げたなら、あとは自分の内側を探るのを止めてキリストを見上げることです。そうするなら、キリストの持つ全ての富、全ての赦し、全ての祝福が与えられるんです。どうぞキリストの前に進み出て下さい。



上原令子:私さえ
新約聖書 第2 コリント人への手紙3:18
 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。