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Bible & Gospel

■ No.415 2008年03月09日「結婚の奥義とキリストの福音」

お早うございます、高原剛一郎です

 私は先日結婚式に招かれました。聖書のメッセージをするために呼ばれたんです。さて、教会の結婚式で必ずといっていいほど、読まれる聖書の箇所があるんですね。こんな箇所です。それゆえ人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となる。この中に結婚式に表される三つの真理が、書かれているように思うんですね。

 結婚の三つの真理 父母を離れる

 第一は、父母を離れると言うことです。  結婚式というのは父母にとっては「子別れ式」、子供にとっては親との「決別式」です。結婚するまでは、自分にとって一番重要な人間関係は、親子関係だと思うんですね。親としっかり結ばれ、また和解できてないと、いろんなところにひずみが生じてくるもんです。普通の家庭であるならば、子供が大事な事を決めるとき、第一の相談相手は親だと思います。しかし、結婚したなら、第一の相談相手は、自分の伴侶ですね。ひとたび結婚して夫婦になったら、夫はお袋の味を持ち出してきて、妻を比べたりしてはいけないんです。自分のお母さんがいかにしっかりもので偉大な女性でも、妻にその人物像を押しつけてはなりません。母親がいかに立派な人でも、その人は、父の妻であって、自分の妻ではないからです。
 それと同じように妻も、自分の父親と自分の夫を比べてはなりません。大抵の場合、父親は娘に甘いと思います。そして、大目に見てます。そして、理解者であり続けて来ました。夫よりも長く生きてるので、人生経験も知識も豊富ですね。しかし、お父さんがいかに偉大な人でも、人の夫、自分のお母さんの夫であって、自分の夫じゃないんですね。ですから、夫に対して、お父さんはこうだったとか言って、持ち出さないことです。なぜなら結婚というのは、父母と切れた人がすることであるからです。父母と切れるんです。両親は血のつながったよその夫婦です。このように父と母から精神的にも経済的にも、自立することを確認する式なんですね。
 自立というのは、自分のことを自分で考え、自分で判断し、自分で決めることが出来るということです。両親と子供の分離式、それが結婚式の第一の面です。

 結ばれたことを再確認する式

 第二に、その妻と結ばれたことを再確認する式です。  結ばれるということばは、受け身ですね。自分で絡みついていくんではなく、また、相手に絡め取られるのでもない、二人を結ぶ神の導きを確信するということなんですね。両性の合意だけではなく、夫と妻との間に、神という仲介者、あるいは、神という強力接着剤で結ばれたことを確認する式なんです。
 最近は、簡単に結婚して簡単に別れます。なぜでしょう。結婚の土台が人間の自由意志にだけ、のっとっているからです。だから好きだと思うとくっつくけど、いやになったら簡単に別れるんです。しかし、キリストはおっしゃいました。神が結んだものを人は離していけないと。
 以前、割れた爪の修理をしくじって、アロンアルファという強力接着剤で指がくっついてしまったことがありました。それを無理に離しました。一旦強力にくっついたものを無理矢理引き離したらどんなことが起こるでしょう。ひどく傷つくんです。一度結んだものを引き離したら、一人だけが傷つくのではなく、夫も妻も両方ともに、ひどく傷つくんです。問題はどこにあったんでしょう。人間関係の中心に神をすえていなかったところにあるんではないでしょうか。天地を創造なさった生ける神が、自分に出会わせて下さったと認めないからではないでしょうか。

 高価で尊いもの

 私の友人に古ぼけた懐中時計を後生大事にしている人がいます。実はこの時計は、役に立たない代物なんですね。といいますのは、動かないからです。時代遅れで使い物にもならないんですね。それなのに彼の宝物となってるのはなぜでしょう。実は、彼が尊敬して止まない、内村鑑三愛用の時計であるからなんです。私たちは自分が崇拝している人や、憧れている人から、愛用の品を任されたら、それをどのように扱うでしょう。乱暴に扱えますでしょうか。決してそんなことをしませんね。尊敬している人から宝物をあずかったら、大切にすると思います。それはあずけた人を尊敬しているからすることです。もしあずかったものを粗末にするなら、それはあずけた人をおとしめていることになりますね。ところで、人それぞれ何を宝物にするのか、それは違っていると思いますが、実は、神にも宝物があるのです。一体なんでしょうか。あなたです。人間です。神様には人間をご自分の宝とされたのです。高価で尊いものと見なしておられると聖書に書いてあるんです。
 この尊い宝である女性を自分の妻として託されたのが、聖書に基づく結婚における夫です。偉大な宇宙の造り主である神が、宝物として大切にしてる男性を、自分の夫として託されたという女性が妻です。もし、互いの間に神を恐れ敬う心があるなら、どうして相手を否定することが出来るでしょうか。相手を自分の物である前に、神の宝物なのです。人間が人間を大事にしない原因は、その人間をお造りになった神さまを無視するというところにあるのではないでしょうか。結婚式は人生の導き手である神の主権を認めるということを確認する式なんですね。

 一心同体という真理

 第三に、二人は一心同体となるという真理を表す式です。  二人は一心同体であるとは、語ってないんですね。式を挙げたくらいのことで、即日一心同体になりはしないのです。一心同体になる。一生かけて一体となっていくっていう意味なんですね。但し、これは自動的に時間と共に、勝手になっていくのではありません。そのようになっていくために、信仰的努力をするということを約束する式なんです。生涯かけて一体となっていくように、ベストを尽くします。そして、ベストを尽くすならば、神は必ずその努力に応えて下さるんですね。いや、神は聖書のことばに従っていくものに、必ず力を与えて、その人の人生を完成していってくださるという信仰告白が、結婚式の第三の意味なんです。
 両親への依存から自立し、創造主の主権を認め、神の約束を信じて前進していくならば、必ず神はその人の人生を完成させて下さるんだって言っていると思うんですね。

 聖書が教える人間の幸せ

 このように、人間が幸せになるためにどうすればよいかを実に的確に教えているのが聖書です。人間を造られた神様は、作品である人間の性質を知り尽くしておられます。ですから、人間に祝福への道を語ることがお出来になるんですね。  ところで、両親から自立するためにはどうすればいいんでしょう。両親に代わる魂の親、人生の主権者を新たに心に迎えるということです。あなたの主権者である神を認めるということですね。
 では、その神さまの導きや目に見えない神さまのみこころは、どのようにしたら分かるんでしょう。人となったイエス・キリストを通して、神のみこころを知ることが出来るんです。キリストを受け入れて見てはじめて神さまのお心が分かるようになるんですね。では、どのようにして聖書のことばに従って行けるんでしょう。どのようにして一体となっていく信仰的努力をすることが出来るんでしょう。キリストを信じる者に与えられる聖霊に頼ることによって、従う力が与えられるんですね。キリストを受け入れるところに、すべての祝福がかかっているっていうことです。どうぞ、あなたもイエス様を信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。




フォー・ギブン:父の神の真実
新約聖書 エペソ人への手紙5:31
それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。