#970 天国への道

メッセンジャー似顔絵

おはようございます、尼川匡志です。

随分前の話ですが、私が車を運転して高速道路を走っている時のことです。
友達との話につい熱中してしまって、日本海に向かう道路の分岐点を見過ごしてしまったんです。
その結果、私たちの車は九州方面に進んで行ったんですね。しばらくして気が付いたんですが随分遠くまで走っていました。
仕方なく一旦高速道路を下りて、随分迂回してその道路に戻った事を覚えています。不注意の結果ですよね。
確かに高速道路はスピードが速いので標識を見過ごしてしまう危険性があります。
何度も表示されているはずですが、それでも見落としてしまうんですね。
そして間違えてしまうと行き先が大きく変わってしまいます。

カット

分かれ道

死の先の行き先

私たちの人生の最終到着点は死ですが、聖書はそこで終わってしまうのではないと語っています。
死の向こうに永遠の世界があるというんです。そして、その世界は二つです。
一つは、神と共に生きる天国、もう一つは、神の恵みも愛も届かない地獄です。
誰も地獄に行きたいとは考えませんよね。でも道を間違えるならそれが起こり得るんです。
もちろんそうならないようにと、いろんなときに警告が発せられています。
でもそれを真剣に考えることもなく、まあ大丈夫だろうと簡単に考えて突き進んでいると大変な事になってしまうと聖書は語っているんですね。

病床でキリストを信じた方

私の知り合いで昨年から今年にかけて五人の方が病床でイエス・キリストを信じて天国に帰られました。
本当に感謝なことです。この方たちに共通していることがいくつかあります。
一つ目は、身近にクリスチャンがおられたということです。
二つ目は、余命宣告を受けているか、明らかにもう自分は長くはないということを自覚しておられたということです。
そして三つ目、それまで福音を聞いても「今は結構です」と言って自分のしたい事を優先されていたということです。
でも、この方々がいよいよ自分の死が近づいていることが分かった時、はたと「自分は死んだらどうなるんだろうか」と真剣に考えるようになられたんです。
それまでは人間はいつかは死ぬと分かってはいたんですが、まだ自分は大丈夫だろうと考えて、自分の死というものを本気で考えていなかったんです。そこを避けていたんですね。
多くの方は死の恐怖から逃れるために考えないようにされます。
しかし、どうしても考えなくてはならなかったんです。そして、その時聖書の語る真実に触れたというんですね。
そしてイエスを信じ、平安のなか天に帰られていきました。
「私も病気になったら考えればいい」とは思わないでくださいね。私たちの人生って何が起こるか全くわからないんですから。
夜寝ていたら突然土砂に飲み込まれることも、家屋が倒壊してしまうことも、心臓が突然止まってしまうことも、車にはねられることだってあるんです。

イエスという道

聖書にこのような言葉があります。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

これはイエス・キリストの言葉です。このことからはっきりすることがあります。
それはイエスという道を通らなければ、絶対に天国に行くことは出来ないということです。
私たちは天国に向かう道という表示を簡単に見落としてしまいます。そして、今まで通りの道を進もうとします。
それでは天国に行けないんです。
イエスはあなたの人生に分岐点を作られました。天国行きの表示がされた道です。
私たちは注意深くこの分岐点でその道を選択するという決断がいるんです。その決断によってあなたの永遠が変わる、と聖書は言うんですね。

ルールを守る事

あるときイエスのもとに金持ちの青年が訪れました。彼が聞きたかったことは一つです。
それは「永遠の命を持つには何をすればいいか。」つまり天国に行く方法を尋ねに来たんです。
イエスは彼にこう答えられました。「戒めを守りなさい。そして、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、だまし取ってはならない、あなたの父と母を敬え。」
この戒めを聞いたときその青年は「それらのことはみな、守っています。」と即答しました。
確かに人を殺すようなことはしていなかったでしょう。でも「こんな人がいなければいい、消えてなくってしまえ、顔も見たくない」という思いはあったかもしれませんね。
聖書はその思いが殺人の出発点だと言っているんです。
たとえその戒めを守れたとしても、それ以外のすべての戒めが守れているわけではありません。でもすべてを守ってこそ初めて戒めを守ったということになるんです。
交通法規を守るということはスピードも、シートベルトも、信号も、一時停止も、免許証の携帯も、すべてを守ってこそみな守っているということになるんです。
それと同じように戒めを守ると言うことも全てを守るということです。
ですが、神の語られる戒めを全て守る事のできる人間なんていないんです。
つまりこのアプローチの仕方では彼は天国に行くことは出来ないということです。

自力では天には行けない

ではなぜイエスは戒めを守りなさいと言われたのでしょうか。この人に正しく生きることは出来ない事実を知らせるためです。
正しいことが実行できず、間違ってる事を辞めることが出来ない、そのことを知ってほしかったんです。
人間は自分の力で天国に行くことは出来ません。助けてもらう必要があるんです。
だから神は救い主となってこの世界に来てくださったと言うんです。それがイエス・キリストです。

イエスを信頼しその道を進む

先日、タイの洞窟に13人のサッカー少年たちが閉じ込められてしまいました。命の危機に陥る事故でしたね。
彼らは自力では脱出不可能です。その時、特別に任務を受けたダイバーたちが彼らのもとに向かいました。
危険極まりない救出計画でした。この時もし、少年たちが自分で泳いで脱出できると考えていたら大間違いです。
自分の力ではどうすることもできない、どのような努力をしても自力では救うことは出来ません。
彼らのできることは全てをダイバーに任せて、信頼し委ねきることでした。
それによってはじめて彼らは命を得ることができ、外の世界に行くことが出来るんです。
イエスはこの青年に言われました。「私に従ってきなさい。」イエスに従うということはイエスがつくられた天国への道を信頼して、その道を進むという事です。
明らかに今までとは違う道に入ることですね。ハンドルをきるという決断が必要です。
決断をすることが出来るのはあなただけです。私たちは自分で道を作ることは出来ません。
イエスがつくられた救いの道を選択し、そこを進んで行くこと、その決断をされることを心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
Saki:森祐理:やがて天にて

今日のみことば
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
(ヨハネ14:6)