#993 罪とは何か

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて最近、空港や駅の公衆トイレに一つ共通しているデザインがありますね。男性用小便器の中に、ハエのシールが貼ってあることです。
男性はこのハエの目印を見ると、そこを狙って用を足します。
その結果、便器の外にこぼすことがなくなるんです。
つまりこのデザインはトイレをきれいに使ってもらうためのデザインなのです。
ちなみに世界中の公共トイレの色は、白です。
他にもカラフルな色に造ることもできるはずですが、便器の色は世界中、ほとんどが白なんです。
これにも理由があるんですね。それは尿の色を正しく知るためです。
実はおしっこは、人間の体調を知る上でとっても大切な情報が満載されているんです。
色によってその時の体調を判別する目安になるんですね。
もし便器の色が赤だったら、血尿が出ても気がつかないでしょう。
つまり、トイレの形や色はすべて理由があって、あんな形でこんな色をしているのです。
そして意味のあるデザインは、意味を考えるデザイナーによって生み出されるものなのです。

シマウマに縞がある理由

先日、BBCのニュースでおもしろい情報が報道されていました。シマウマにはなぜ縞があるのか、というのです。
この疑問については科学者が百年以上も取り組んできたというのです。
いくつかの説が今まであったんですが、どれも決定的とは言えないものでした。
ところがある実験によって、最終的な答えにたどり着いたのではなかと言われてるんです。それはハエを寄せ付けないためだというんです。
普通の馬に、縞柄のコートを着せてみることで、証明されたのです。
縞柄のコートを着た馬にはハエがほとんどとまらないのです。
縞柄の近くを飛び回ったり、コートにぶつかったりはするんですが、着地できないんですね。
というのは、ハエは縞柄で目をまわしてしまうために、正常な着地ができないのです。

デザイナーの意図がある

すべてのデザインには理由があります。理由のあるデザインは、理由を知るデザイナーによって生み出されるのです。
自然界に存在する生き物は優れたデザインを搭載しています。
ということは、この自然界を優れて合理的に造られたデザイナーがおられると言えるんです。
この究極のデザイナーを、聖書は創造主、神と呼ぶのです。
私たちは身の回りの自然界の成り立ち方を通して、自然界の作者がおられるということを知ることができるのではありませんか。
さて聖書はこう語っています。

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。

ここに人間の問題点が三つ語られているのです。

雑木林の小屋で生活する人

第一に、人は神を神としてあがめない、という問題を持っています。
わかりやすく言うと、神との交わりを捨てた、ということです。偉大な、すてきな、知恵と知識に満ちた存在との交わりを一切断ち切って、神なき人生を歩んでいる、というのです。
先日私は、自分で建てた小屋で低コストの生活を実践する、高村友也さんという方の本を読みました。
実は彼は大学院を出た後、どう食べていくかを考えたのです。
研究者の仕事に魅力は感じられず、かといって就職もしたくない。
というのも、今の社会は家という箱を筆頭に、生活基盤がハイコストに設定されていて、それを背負って維持するために、猛烈に働くシステムが出来上がっています。
膨大な時間を奪られ、自由もままならない、そういう高速ベルトコンベアーに乗るのはいやだ、と彼は思ったんですね。
それで70万円で山梨の雑木林に土地を購入し、10万円で小屋を建てて、ライフラインも自作し、電気はソーラーパネルでまかない、水は近くの湧き水をくんできて、なんと月2万円で暮らせる生活サイクルを確立したのです。
1か月か2か月バイトすれば、残り10か月は自由に暮らせるという計算です。
寝たいときに寝て、起きたい時に起きる、その小屋の生活は実に快適です。
人に会うこともなく、自己完結した暮らしを送り、体調もバッチリです。
1年くらいしてブログを立ち上げると、たちまち反響があり、書籍化が決定し、さらに2冊の本を出すことになりました。

人は他人と交わることによって完結する

しかし、その一方で、何年間も一人きりで生活していると、気分がいい時にはいいんですが、ネガティブな思考や感情に捕らわれると、歯止めが利かなくなるというのです。
3冊目の本は長年考え続けてきた、死の概念や自分の内面を掘り下げた内容で、自作の小屋で暮らすのは、自分の脳内で暮らすようなもので、ネガティブ思考になると抜け出せなくなるという悲鳴をあげるような本になってるんです。
彼はやがてパニックを起こすようになり、小屋から逃げ出し、友人の家を転々とするようになるのです。
そして彼は今、どうしたらいいのか思案の最中だというのです。
聖書によると、人は自分以外の他の人格と交わることによって、成長し完結するように初めっから設計されいるんです。
自分一人だけで完結することなど、できないのです。
自分とは異なる、良き人格、良き存在、善なる方との交わりの中で励ましを受けたり、薫陶を受けたりして成長します。そして最も善なる方とは、あなたをお造りになられた神なのです。

当たり前として捉えてしまう

この神から離れた結果、第二に人は感謝をしなくなります。
それは人を生かしているすべての神が備えた環境を当たり前のこととして捉えるからです。
当たり前と思ったら、感謝がなくなり楽しくなくなりますね。
食べ物があって当たり前、住むところがあって当たり前、着る服があって当たり前、仕事があって当たり前、学校に行けるのも当たり前。
当たり前感が強ければ強いほど、感動がなくなります。
今晩のおかずにお肉が出たとします。当たり前でしょうか。
肉を食べれるのは決して当たり前ではありません。まず畜産業の人がいて、屠殺する人がいて、冷蔵トラックで運ぶ人がいて、スーパーマーケットがあって、レジを打つ人がいて、そしてようやくあなたはお肉を食べることができるんです。
私は今日、このラジオスタジオに車で来ました。
当たり前ではありません。車を造る人がいて、石油を掘る人がいて、石油をガソリンにかえてくれる人がいて、そのガソリンをガソリンスタンドまで運ぶ人がいて、私たちはようやく車に乗ることができるのです。
しかし、当たり前と思ったら、ちょっと肉がまずかったり、ちょっと道が混んでるだけで、文句がすぐに出てくるんですね。

全ての原因、罪とその解決

第三に、神から離れた人の心はむなしくなり、その鈍い心は暗くなったというのです。
もし神がいないなら、あなたは神という人格的原因なしに、偶然存在していることになります。
たまたまの存在には使命も目的もありません。ただ存在しているだけの無意味な人です。
そう考えて、むなしくならない人はいないでしょう。しかも、その最後には死が待っているのです。
なので、心は暗くなった、と書いてあるのです。
これらすべての原因は、神から離れる罪によったものです。
しかし神さまは、あなたを愛し続けて、あなたの罪を赦すためにキリストを身代わりに処罰してくださったのです。
あなたのために死んでくださった方、いやよみがえってくださったイエス・キリストこそは、罪人が神に戻れる唯一の道なのです。
どうぞこのイエス・キリストをご自分の救い主として受け入れてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
向日かおり:目覚めるとき

今日のみことば
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。
(ローマ1:21)