#990 キリストによる「大丈夫」

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

私の小学生の頃の流行りのファッションは、有名スポーツメーカーのトレーニングウエアでした。
ある日、母がトレーニングウエアを買って来てくれました。
一見したところ、あの有名メーカーのトレーニングウエアだと思って大喜びしたのですが、見れば見るほど違うのです。
特に、マークの形とメーカーの名前がおかしいのです。
私は母に言いました。「お母ちゃん、これ偽物やんか」すると母は答えるのです。
「何言うてるの?これ、ちゃんとしたabibas(アビバス)やで」
「ちゃんとしたabibasって何? abibas自体が偽物やねんで」
半泣きの抗議も虚しく私はそれを着るしかありませんでした。
ところが、可愛がってくれていた母方のおじさんが本物メーカーのトレーニングウエアを、そんな私に買ってあげると言ってくれたのです。
ところが、欲しくて欲しくてたまらないのに私は何故か遠慮してしまって、その申し出を断ったのです。
その結果、あれほど欲しかったトレーニングウエアは遂に私の物にならなかったのです。

ギフトが差し出されている

理由はどうであれ価値のあるギフトがあったとしても、それを受け取らなければ自分の物にはなりません。
神様はあなたに罪の赦しと永遠のいのちという大きなギフトを差し出しておられます。拒まずに受け取っていただきたいのです。
今日の聖書のことばです。

罪の報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

3つのポイントで考えましょう。

天地創造に一致する研究結果

第1に、私たちは罪人だということです。
昨年、医学生物学分野で名高いアメリカのロックフェラー大学の研究チームが、約10万種の動物から500万の遺伝子の断片を採取してそれを解析した結果、二つの結論に至ったということです。
まず、現存する生物の種の90%は同じ時期に登場したという結論でした。
この結論は、神がすべての種の生き物を二日間というほぼ同時期に造られたという聖書の記事と一致します。
そしてもう一つは、ある種と他の種の間には進化を証明する中間形態は無かったという結論でした。
つまり、猿という種に属する何らかの生き物が進化して人間なったのではないということを表しています。
これは、神がすべての生き物を種類通りに、猿は猿として、人間は人間としてお造りになったという聖書の記事と一致するのです。

神の存在を無視する態度:罪

ところで、生まれながらの人間はこのような研究結果を知っても、聖書の正しさを認めようとしません。
神の存在を知ろうともしません。神抜きですべてを考えようとします。
このように、どこまでも神の存在を無視して生きようとする態度を聖書は罪と呼んでいます。
この罪が私たちすべての人間に存在するので、私たちすべての人間は悪を行なっているのだと聖書は語ります。

罪の刑罰は免れられない

2つ目に、罪には罰が伴うということです。
危険なあおり運転をした挙句、尊い命が奪われてしまうという悲惨な事件が複数ありました。
ところで、もしこれらの事件の被告が何の処罰を受けることもなく無罪放免されたとしたらあなたはどう思われるでしょうか。
“そんな馬鹿なことがあってはならない。” “無罪放免は正しくない。” “犯した罪に相応しく厳罰を科すべきだ。” と心が叫ぶのではないでしょうか。
あなたの内にある正義がそう叫ばせるのです。
罪のある人間の正義が罪には罰を科すべきだと叫ばせるとするなら、罪のない神の正義はなおさら罪には必ず罰を科すべきだと叫ぶのです。
罪には罰が伴って当然なのです。罪の罰は死。永遠の地獄なのです。
私たち罪人は罪の刑罰を決して免れることはできないのです。

キリストによる身代わりの死

3つ目に、罪の赦しと永遠のいのちは神からいただくものであるということです。
キリストは十字架の死によってあなたの身代わりに、あなたの罪に対する罰を受けてくださいました。
それだけでなく、三日目によみがえってあなたの罪の処分を成し終えたことを証明してくださったのです。
ですから、このキリストを信じるなら神はあなたをこれ以上罰することなく、罪の赦しと永遠のいのちをギフトとしてあなたに与えることがおできになるのだと聖書は約束しています。

困難を乗り越えるための習慣

アメリカ海軍の調査で、困難を乗り越えることのできる人には一つの共通の習慣があることが分かりました。
それは、どんな時にも「大丈夫、大丈夫。」と自分を励ますポジティブな心のつぶやきだったのです。
確かに、自分を励ますことはやり抜く力や精神的な強さにおいて、とっても良い影響を与えてくれることは日々の生活の中で経験することができます。
だとするなら、いつでも、どんな時でも、たとえ、死という人生最大の困難と向かい合わせになった時にでも、「大丈夫、大丈夫。」と自分を励ましながら困難を乗り越えることが出来たらいいなと思いませんか。
キリストにはあなたにそのような力強い歩みを実現させる力があるのです。

根拠のある「大丈夫」

昨年の3月、宮本英司さんという71歳の男性が書いた『妻が願った最期の「七日間」』という新聞の投書が話題になりました。
奥さんとの死別について書かれたものです。
その投書の中で生前に奥さんが宮本さんに遺したポエムが紹介されていました。このような内容です。

《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ 二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ 三日目に身の回りを片付け 四日目は愛犬を連れてあなたとドライブに行く 箱根がいいかな 思い出の公園手をつないで歩く 五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く 六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ そして七日目 あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょう 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう そして私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》

この投書を読んでつくづく思わされました。
死によって愛する人を見送ることも、愛する人を残して旅立つことも、悲しくて、辛くて、堪え難い。このような手強い死という困難と向き合った時に、それでも確かな根拠を持って、「大丈夫、大丈夫。」と自分を励ますことのできる人がいるとするなら、それは、キリストを信じて永遠のいのちをもっている人だけです。
クリスチャンの幸いをあらためて実感するのです。
キリストを信じている人同士ならこの地上での死が二人を分つその瞬間にも心から確かの根拠をもって「大丈夫、大丈夫。また天で会えるのだから。」と自分をも相手をも励ますことができるのです。
いくら価値あるギフトがあったとしても、それを受け取らなければ自分の物にはなりません。
どうか、キリストを信じて永遠のいのちという神のギフトをご自分のものにしてくださいますように心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
岩渕まこと:イエスにゆだねて

今日のみことば
罪の報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ6:23)