#968 永遠のいのちとはキリスト受け取ること

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。高原剛一郎です。

あるクイズにこんなのがありました。「クルミの殻を力を入れずに割る方法は何か?」
答えは、クルミを地面に埋めることです。
土に埋めるとやがてクルミの中の命が芽吹いて内側からあの硬い殻を破って芽が出るからですね。命ってすごいですね。
ところで、聖書は永遠のいのちについて語っています。
私たちは今、皆生きていますが、それは命を持っているからですね。
しかし、やがて死にます。人に宿っている命は永遠のいのちではなく、一時的な命でしかないからです。
しかし、死という硬い殻を突き破る永遠のいのちを神様は私たちに与えてくださるというのです。キリストはこのように言われました。

永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。

カット

クルミもかたい殻を突き破る

他人は地獄だ

第一に、永遠のいのちに至る第一歩は、唯一のまことの神、創造主なる神を認めることなのです。
と言いますのは、この創造主から離れたということが死の原因であるからです。
サルトルの書いた戯曲の中に、『出口なし』という作品があります。
暗い過去を持つ三人の人が死んで出口のない部屋の中にいるんです。
その部屋の中には鏡がありません。そこで、今の自分がどういう姿なのか、自分とは一体何者なのかということを知るためには、自分以外の二人に聞かなければ分からないのです。
ところが、そこにいる全員は過去に取り返しのつかないことをして死んだ人たちなのです。
みんな一人一人心に傷を負っています。ハッキリ言ってひねくれているんですね。
そこで、自分以外の人を語る言葉がいちいち刺々しい言葉なのです。
それを聞くとひどく落ち込みます。しかし、他人の言葉以外に自分が何者であるかを知る手がかりが無いというのです。
サルトルはこの状況を見て、「他人は地獄だ」と言うのですが、実は、私たちはこれと似たようなことを日常の中でしているのではないでしょうか。

SNSでの炎上

最近よくSNS上で“炎上”という言葉を聞くようになりました。
これは、インターネット上で何かを発言した時、匿名の人たちからこっぴどい批判が集中することです。
そして、有名人、芸能人もこれら不特定多数の人たちによる炎上で平謝りに謝ったり、ブログを閉じたりします。
韓国では批判に耐えかねて自殺した女優や芸能人が何人もいるというのです。
自らの命を絶つ程までに深刻に受け止めてしまったのは、心ない批判の言葉に人格がズタズタにされてしまったからだと思います。
そして、これは一部の有名人の話だけの話ではないように思うんです。一般の人だって誰かの悪意ある言葉に生きる意欲を失ってしまうことがあるのではありませんか。

人以上の権威を知る

しかし、考えてみたいのです。あなたに酷い言葉を投げつけた人は、人であって神ではありません。
その言葉には権威はありません。その人の勝手な判断なのです。それは永遠の真理でもなければ、不滅の言葉でもありません。
にもかかわらず、人の言葉が必要以上に心の中に食い込んでしまうのは、人以上の権威、人間よりももっと恐れなければならない神を知らないからだと思うのです。
あなたをこの世界に存在させた創造主こそは、あなたが第一に聞かなければならない方です。
そして、この神はあなたを愛し、あなたを思い、あなたをご自分の形に似せて造ってくださった方なのです。
この神から離れたがために神でもない人間の言葉を必要以上に権威あるものと認めてしまい人生が困惑するものになるのです。
永遠のいのちに至る第一歩は、あなたをこの世界に生まれさせてくださった創造主なる神を信じるということなのです。

依存症の支援施設

第二に、この神から遣わされたイエス・キリストを信じることです。
キリストの本質は神です。この神の御子が人となってこの世に来てくださいました。それは、あなたにとっての救い主となるためです。
奈良県大和高田市に依存症に陥った方々の支援施設セレニティパークジャパンという団体があります。
そこには、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存、インターネット依存、買い物依存など様々な嗜癖に苦しむ人たちが立ち直っていくために入所されています。
ある新聞に施設内でのことが伝えられておりました。その治療法の一つは過去を振り返って言語化するというのです。
「何か辛い状況にあった子供の頃を思い出してください。その時、もし、そばに神様がいたら神様は子供であるあなたにどんな言葉をおかけになったことでしょう。」
入所している男性たちは、「難しいなぁ。」とか「照れくさいなぁ。」とか言いながらも、配られた紙に言葉を綴り、一人ずつ発表するんですね。
「本当にやりたい事をやってごらん。」とか「言いたいことは言葉にして言ってごらんよ。」そんな意見が次々と出てくるようです。

神様はそばにおられる

ところで、どうしてこんな質問を投げかけるのでしょう。
実は、感情を抑え込み続けることが依存症につながると考えられているからなのです。
どうして、お酒やギャンブルや薬物に手を出すんでしょう。自分の中にある不安や怒り、悲しみなどを紛らわすためなのです。
そして、一時的であったとしても紛らわせることができるとやがてそれが習慣化し、そして、暴力的な問題を起こしたり、ダメ人間だと感じる苦しみからのがれるために、また手を出すという悪循環に入っていくというのです。
そのため、ここの施設ではかつての行動パターンを見直して、依存対象に頼らずに生きる方法を考えていくっていうんですね。
そのためにはまず自分のありのままの感情を表に出すことが大切なのです。
ところで、職員の方は「もし、神様があの時そばにおられたならば」という仮定の話で神様を持ち出されたのですが、神は“もし”の存在ではなく”実在する方”なのです。
あなたの過去の人生のあらゆる場面に実はキリストはおられました。
この方は人としてあなたの弱さを共有できる方なのです。あなたの心の重荷を親身になってじっくりと聞いてくださる方です。
そして、あなたの人生に入ろうとノックしている救いなのです。

神様とのアクセス

第三に、キリストは単にあなたの訴えを聞くだけの存在ではなく、あなたが神に戻れる準備をしてくださった方なのです。
清い神の前に受け入れられるため、あなたのすべての罪を帳消しにして清めるためキリストは十字架にかかって死んでくださいました。
そして、三日後に復活してくださった神の御子なのです。
そして、この方はあなたに悪に打ち勝つ力を与えてくださる方でもあるのです。
このキリストをご自分の救い主として受け入れる人は誰でも自分の造り主に戻ることができます。
全能の神様と再びつながることができるできるのです。全知全能の神様にアクセスすることができるのです。
そして、神を喜ぶいのちをいただくことができるのです。これこそは永遠のいのちです。
どうぞ、あなたもイエス・キリストを救い主として信じ受け入れてください。心からお勧め致します。


使用CDジャケット
レーナ・マリヤ:我をも救いしAmazing Grace

今日のみことば
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。
(ヨハネ17:3)