#957 心の中に住んでくださるキリスト

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。高原剛一郎です。
さて、私は先日興味深い記事を読みました。今から30年ほど前、カナダでダニー・シンプソンという24歳の男が銀行強盗を働いたのです。
彼は金に困って6千ドルを銀行で強奪し逮捕されたのです。世の中にたくさんある強盗事件の一つですね。
しかし、あることでこの事件は注目されたのです。と言うのは、彼が強盗のために使ったのは家にあった45口径のコルト半自動銃だったのですが、実はこの銃は1918年にロスライフル社によって少数限定生産されたアンティーク銃だったのです。
その価値は少なく見積もっても10万ドル以上したというのです。
実際ダニー・シンプソンが刑務所入りしたとき、この銃のほうは博物館に展示されたのです。このダニー・シンプソンという人物はすごい価値あるものを持っていましたが、その価値に気付かなかったために、それを最低最悪の使い方をして人生を棒に振ってしまったのです。
もし、このアンティーク銃を犯罪のために使うのではなく、その価値を良く知るアンティークショップに持って行けば、彼は牢につながれる事もなかったのです。

価値を知る存在に人生をゆだねる

ところで聖書によると私たちは一人一人神によって命を与えられています。そしてこの命で一度限りの人生を生きているのです。
この命、この私という人格はどのように使おうが私の自由です。もし人を傷つけるため、一時的な欲望を満たすためにやけくそな人生を生きるなら、その刈り取りを必ずしなければなりません。
しかし、最も賢明な道があります。私という人間を、私という人格の価値を知る方に明け渡し、神の計画を生きるということなのです。
そしてそれを可能にするためイエス・キリストがしてくださったことを今日ご紹介したいと思います。聖書にこう書いてあります。


私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によったのです。

ここから三つのポイントでお話しいたしましょう。

カット

人生の価値を知る方がいる

この世に来られた神の御子

第一に、キリストは人となられた神の御子であるということです。
神なのに人となってこの世に生まれた方です。なぜそのようにされたのでしょう。神を忘れている人間に神を見える形で伝えるためなのです。
スミソニアン博物館の研究員だったT・アーウィンという人物はあるときアマゾン流域に入ります。
そしてジャングルに生えている70メートルの大木を下から煙で燻してみたのです。
すると木の中にいた昆虫がぼたぼたぼたぼたと落ちて来たんですね。
その昆虫をすべて採集して研究者仲間に鑑定してもらったところ、分かったのはわずか4%でした。
残りの96%は全て新種にして未知の生き物だったというのです。
現在陸上に650万種、海の中には220万種の生物がいると見積もられています。合計すると870万種の生物がいることになります。
そしてこの数字は陸上生物の86%、海中生物の91%は未発見ということを意味するのです。
人間は自分の住んでいる地球の生き物のことすらも、まだほんのわずかしか知ってはいないのです。
ましてやこの地球や生物をお造りになった神のことについては、人はほんのわずかしか知らないのです。いやそんな作者がいないという考えまでもがあるのです。
聖書はこの神を否定する考えを罪と語っています。
神から離れてすっかり神が分からなくなった人間に神の本心を知らせるために来られた神の御子、それがイエス・キリストです。

キリストは十字架にかかられた

第二に、キリストは私たちの罪を赦すためにご自分の命を十字架の上で捨ててくださったということです。
罪人が赦されるためには、全く罪のない方が代わりに罰を引き受けること以外に方法がありませんでした。そして、キリストには何の罪もなかったのです。
キリストは十字架に架かる義務は全くありません。しかし、自分から進んであなたの身代わりになってくださったのです。それはあなたを愛するあまりになさったことです。なぜなら先ほど読んだ聖書には「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子」とあったからです。

4人の妻の寓話

第三に、私のために十字架で死に、三日目によみがえったキリストを救い主として信じる者にはキリストがその人の中に来て住んでくださるというのです。
「キリストが私のうちで生きておられる」とあるからです。
ある寓話にこのような話があります。昔、4人の妻を持つ男がいたというのです。
第一の妻は、彼が最も愛する女性です。どこに行く時も決して離れず、いつも一緒です。彼女が欲しがるものは何でも与え、食べたいと言うものは何でも食べさせるんです。
第二の妻は、他の男たちと激烈な奪い合いの末にやっとのことで手に入れた女性です。いつも気にかけており、外出するときには片ときも離れず、家に帰ってからは鍵のかかった部屋に入れて、勝手に出て行かないように見張りまでつけるほどです。
第三の妻は、たくさんのお金をかけ面倒を見た女性です。嬉しい時にはともに喜び、悲しい時には慰め合い、励ましあうような仲です。
そして第四の妻は、彼にとって時に争い、時に折り合いがつく女性です。彼女は四六時中、夫のために立ち働いています。それなのに夫からは時には無視され、その存在を忘れられてしまうこともあるように見受けられるのです。
さてある日のこと、王様からこの男に、遠い国に旅するよう命令が下りました。そこで男は一番目の妻に一緒に行ってくれと頼むのです。ところが彼女は「嫌です。一人でどうぞ」と断るのです。
二番目の妻に同行を頼むと彼女からもつれない返事しか返って来ません。
そこで三番目の妻に頼みます。すると「国境までは見送るけど、そこから先はご一緒できません。一人で言ってください」と言うのです。
彼はいよいよ困って四番目の妻に頼むのです。すると彼女は「はい、私はあなたと一緒にどこまでも行きましょう」と言ってくれたのです。
こうして彼は四番目の妻と共に遠い遠い国へと旅立ちました、という話です。

死後も共にいて下さる方

ところでこの話は何を意味するのでしょう。遠い国というのは死後の世界です。
この四人の妻は一体何を現すでしょう。一番目の妻は自分の肉体です。人は自分の体のことを何より気に掛けています。しかし、死んでいく時には脱ぎ捨てて、お別れしなければならないのです。
二番目の妻は自分の財産です。どんなに苦労して手に入れた財産も死ぬときには持って行くことは出来ません。結局誰か他の人のものになってしまうのです。
三番目の妻は家族です。死ぬときは泣いてくれるでしょう。しかし、一緒におれるのは臨終の席まで。そこから先は一人で行かなければなりません。
では四番目の妻とは誰なのでしょう。
もし、あなたがイエス・キリストを信じるならば、キリストの霊があなたの内側に来て住んでくださるのです。そして、あなたの内に住まわれるキリストはいつもあなたと共におられるのです。
そして、あなたが息を引き取った後もあなたと共にいて、あなたをエスコートし、天国へと導いてくださるのです。
この世でどんなに孤独の時にも決してあなたを離れず、あなたを捨てない方、死後もあなたを守り続けてくださるこのイエス・キリストこそあなたの救い主なのです。
どうぞキリストを今日こそ心の中に迎え入れてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Yuri:主が愛された血潮で

今日のみことば
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によったのです。
(ガラテヤ2:20)