#939 イスラエルで触れた聖書の真実

伝道者:那須清志

おはようございます。那須清志です!

昨年末から年始にかけて、イスラエルを訪問してきました。
聖書の舞台はほとんどがイスラエルで、聖書の大半は、そこで記されました。
旅の目的は、修行の一環ではなく、功徳を積むというものでもありません。いわゆるご利益のためでもありません。
聖書の舞台となったイスラエルを目で見、耳で聴き、歩いて、触ることで、聖書の記述をいろいろな角度から確かめるためです。
聖書の内容は多岐にわたります。神からのメッセージや神がどのようなことをされたかを記録しています。
人間の神に対する思いや祈りや、賛美なども書かれています。

聖書は「むかしばなし」ではない

またイスラエルを中心に、周りの国々の状況なども記しています。
ということで、昔話の典型の「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」の類の話ではないのです。
「むかしむかし」といういつかはっきりしない出来事ではありません。
現代のようなカレンダーを使っていないので、わかりにくいものもありますが、かなりの正確さで判断できます。
また「あるところに」というような場所は気にしない、ということもありません。
場所をはっきり記していることが多く、その場所は今のどこにあたるのかを調べ、訪れることができます。
また「おじいさんとおばあさん」という匿名であったり、誰でも構わないということも比較的少ないのです。
要は単なる伝承とか、おとぎ話、教訓のためのお話ではなく、事実を伝え記しているのが聖書なのです。
聖書の中心人物は言わずと知れたイエス・キリストです。

イスラエルに行けば当時の状況が分かる

今から約二千年前の人ですが、イスラエルに行くと、イエスがどこで生まれ、どこで育ち、どこをどのようにめぐったか、ということをかなりの正確さで追うことができます。
重要なポイントには記念碑的に多くの教会が建てられています。
それも長い歴史の中で破壊されては再建され、また壊され、また造られるということが繰り返されます。
掘れば掘るほど、昔の建物の一部が出てくるというかんじです。
教会を造ったために、かえって当時の雰囲気がわからなくなったと嘆く声もよく聞きます。
その気持ちもわかりますが、最近では発掘調査がかなり進み、その場所が聖書に記されたまさにその場所だということが解明されてきているのです。

カット

聖書の舞台 イスラエル

聖書の中心はイエス・キリスト

聖書は一冊の書物ではありません。66巻の合本です。
イエスという中心人物がわかれば、その人を軸に内容が発展していくというのが普通でしょう。
イエスの生涯が記され、そのメッセージや思想がまとめられ、弟子たちがどう引き継いでいったかを書くというのが、当然の流れでしょう。
ところが、その部分は新約聖書という部分だけです。
イエスが登場する前に、39巻の旧約聖書があるのです。
なんとイエスが生まれる400年前には旧約聖書は完成しているのです。
イエス・キリスト以前の書物である旧約聖書の中心もやはりイエス・キリストとは、一体どういう意味なのでしょうか。
キリストとは、救い主という意味です。
神は人類を救う救い主を送る計画を立てられ、予告され、それを旧約聖書の中に記したというのです。
旧約聖書では、神が将来、地上に送られる救い主のことが書かれているんです。

二千年前に実際にキリストがおられた

ある時、イエスは次のように語られました。

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

ここでいう聖書とは、イエスが生まれる前に書かれた旧約聖書のことです。
イエスはご自分を旧約聖書に預言された救い主である、と宣言しているのです。
こう宣言した背景や状況をイスラエルに行くと、よりリアルに感じることができます。
その地を訪れて誰もが痛感するのは、歴史のスケールの違いです。
日本の歴史ではほとんど状況がわかっていない二千年前に、イエス・キリストはこの地上にいました。
そしてその足跡を今でもたどることができます。
イエス・キリストの誕生を予告した旧約聖書は、それからさらに千年、二千年前の歴史を刻んでいます。
イスラエルに行くと、それらの時、場所、人物に関する事実をかなりの精度で確かめることができるのです。

イエスが救い主だと気づき始めたユダヤ人

イスラエル訪問の私たちのもう一つの目的は、そこに住んでいるユダヤ人でイエス・キリストを信じている友人たちに会うためでした。
私もかつてはそうでしたが、日本人の中には、聖書は、イエス・キリストは、外国の宗教だから、という人がいます。
日本古来のものを大切にしたい、と言わんばかりですが、実は日本古来というものはそれほどあるわけではありません。
それはさておき、ユダヤ人にとっては、それ以上の感覚です。
二千年間の歴史の中で、ユダヤ人は聖書からずれていった教会や名ばかりのクリスチャンたちから徹底的に迫害されてきたのです。
ユダヤ人の先祖たちが、キリストを十字架につけた、ということで、キリスト殺しの罪状で嫌われてきたのです。
ユダヤ人にとって長きにわたり、新約聖書は恐ろしい不気味な書物でした。イエスもユダヤ人であったことさえ、知らなかったということもよく聞きました。
ところがこの50年くらいの間に状況は大きく変わってきました。
中世の宗教画で描かれているイエスは、いかにも西洋人のようですが、新約聖書を実際に手にしたユダヤ人たちは、イエスは正真正銘のユダヤ人であることに気づいたのです。
そして、イエスこそ旧約聖書が予告していた救い主である、ということに目が開かれる人が増えてきたのです。

旅にも人生にもガイドが必要

今回のイスラエル訪問のために、ガイドにお世話になりました。
ちょうどトランプ大統領のエルサレム首都発言で、政情が不安定とマスコミではかなり騒いでいました。
そのことを心配してか、私たちが訪問する場所をあらかじめ下見してくれるほどでした。効率良く見学できるように、スケジュールを組んでくれました。
ガイドに恵まれると旅も楽しく、充実したものになります。人生という旅路においても、同じことが言えるでしょう。
私たちの行く末を案じ、喜びと平安をもって歩めるように、私たちを造られた神は、私たちをガイドしたいと願っておられます。
基本的にガイドは私たちの意向を尊重してくれます。神も私たちの意思を無視して、強引に介入される方ではありません。
ガイドが、何よりもお世話になるのはトラブルが起こった時です。
今回もいろいろありました。忘れ物をしたり、迷子になったり。そんな時ガイドはそれまでの経験を活かし、現地の仲間と連携し、助けてくれるのです。
創造主なる神は、私たちの人生のトラブルに対して対応してくださる方です。
私たちが、自分の罪や死について無頓着な時に、その救いのために救い主を用意してくださいました。それがイエス・キリストです。
イエスは予告通りに私たちの罪のために十字架にかかり、三日目に復活して、永遠のいのちの価値と可能性を示してくださいました。

空っぽの墓と復活

イスラエルに行くと十字架が建てられた場所も、葬られた墓も確認することができます。その墓は今でも、空っぽです。
昨年、耐震工事のためにその墓の部分を改修工事しました。初めて科学的な調査が行われました。
その結果、その墓や建てられた教会が本物であることを、より確かめることができたのです。
復活は信じにくいことですが、それが当時多くの人々から信じられ、新しい時代が開かれたことを、二千年経った今でも確かめることができます。
これはよくできた話でも、教訓を伝えるための創作でもなく、実際に起こったことです。
この事実に目を留めて、復活して今生きておられるイエス・キリストを救い主として受け入れてくださることを、心からお勧めいたします。

使用CDジャケット
Wings:あなたの言葉は

今日のみことば
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」
(ヨハネ5:39)